浦和法律事務所ブログ

当事務所の所属弁護士8名によるコラム(ブログ)です。

犯行の原因

今年6月で、これまで弁護人として関わった被疑者・被告人の人数が400人を超えました。
強く印象に残っている人もいれば、ほとんど記憶にない人もいます。
最も重い刑は無期懲役で、幸いにも死刑判決を受けたことはありません。
(元同僚に死刑判決を複数回経験している弁護士がいますが、
当然ながら、心中穏やかではないそうです。)
逆に、予想外に軽かった例として、今ではとても考えられませんが
殺人と現住建造物放火で懲役10年
というのがありました。
この他、殺人で執行猶予が付いた事例もあります。
いずれも責任能力には全く問題がなかった事案です。


さて、一口に400人と言っても、事件の中身はそれこそ千差万別であり
「犯行の原因」は一つとして同じものはありません。
というより、解明しきれなかったというのが正直な思いです。

例えば、窃盗や強盗は、
その多くは、生活費に窮し、すなわち、お金に困って犯されるのですが
これは「犯行の動機」であって、「犯行の原因」ではありません。
どんなにお金に困っていても、ほとんどの人は犯罪に走るようなことはしません。
では、何故、被疑者・被告人となった人は、今般、犯行に及んでしまったのか、
これが「犯行の原因」です。

「犯行の原因」が解明されてこそ、言い換えれば、
被疑者・被告人が「犯行の原因」を明確に自覚してこそ、有効な対策を講じることができ、
ひいて再犯の防止に繋がるわけで、
刑事弁護における最も重要な課題だと私は考えています。

もっとも、「犯行の原因」の解明といっても、
前述のとおり、それほど容易なことではありません。
何より、被疑者・被告人自身が、これまでの人生を振り返り、
真摯な気持で自己を見つめ直し、
犯行に至った根本的原因がどこにあるのか、
自分自身のどこに問題があったのか、
どうしたら立ち直れるのか、
これからの人生をどう生きていくのかを
真剣に考える必要があるからです。

また、それでこそ真の反省といえるのです。
弁護人の立場からすれば、
以上のことを被疑者・被告人にじっくりと真剣に考えさせることだと思っています。


ところで、冒頭で説明すべきだったかもしれませんが、
罪を犯したと疑われる者のうち、
  起訴前の段階にある者を「被疑者」、
  起訴後の段階にある者を「被告人」
と言います。
(マスコミ報道等では、前者は「容疑者」、後者は「被告」と表現されています。)

いずれも「無罪の推定」を受けており、
当然ながら、私たち弁護人は被疑者・被告人について、
 「○○さん」
と呼び、決して呼び捨てにするようなことはありません。

この「無罪の推定」については、
一般国民にとってはなかなか理解しづらいところですが、
いずれ触れてみたいと思っています。

資本主義はそれを我慢できない

とある週刊誌に 「集団的自衛権のお値段○○兆円」 といった記事があり
その云わんとする所は
  それだけの財源を何処から出すのか、最終的には国民に負担が来る
といった論旨かと思いますが、裏を返せば
  それだけ莫大な経済的利権が発生する
ということでもあります。


戦前の日本が、昭和初期の恐慌
(東京帝大を出ても就職先がなかったり、
東北地方などでは、娘の人身売買が社会問題化したりした。)
からかろうじて抜け出すことができた大きな要因は
満州事変に端を発する、大陸への「侵略戦争によって」、でした。

満州事変やそれに続く国際連盟からの脱退は
国民の支持を得ないまま軍部などが独走し強行したわけではなく
経済的に疲弊し困窮する国民の、(そして財界による)
ある種熱狂的ともいえる歓迎に支えられていました。


敗戦後の日本が「奇跡的な」経済復興を遂げたのも
結局のところ、「朝鮮戦争」による特需、
また、「ベトナム戦争」期にも、アメリカの兵站を担ったことによることが
大きな原因でした。


「戦争」というものは、資本主義国家にとってはほとんど常に
  瀕死の経済状態から抜け出すための起死回生の策
  (そして財界にとっては自らの延命策であり拡大膨張策の一環)であった
といっても過言ではないのではないか。

「戦争が出来る国にしよう」という策動
また、武器の輸出入の制限を緩和しようという最近の動きも
すべて軌を一にするものではないでしょうか。


最近、文科省が高校の授業に近現代史を取り入れる動きがあるようですが
こういった真実については、決して、まともに教えられることなどないでしょう。

空はつながっている

今年も夏がやってきました。

毎年恒例となっている沖縄旅行、今年は久米島に行ってきます。
久米島は琉球王朝時代、琉球列島で一番美しい島という意味を持つ
「球美(クミ)の島」
と呼ばれていたのが語源だそうで(諸説あります)
全長7㎞にも及ぶ真っ白な砂州の無人島「はての浜」が有名です。
楽しみです。


その沖縄で(久米島ではありませんが)、6月23日、沖縄全戦没者追悼式がありました。

その際、石垣市に住む小学3年生の男の子が平和の詩「空はつながっている」を朗読し
これが翌日の新聞に紹介されていました。
その詩が、小学生が書いたとは思えないほど素晴らしく、感動したので
少し長いですが紹介させていただきます。


空はつながっている 』  石垣市立真喜良小学校3年 増田健琉くん

ぼくのお気に入りの場所
みどり色のしばふに
ごろんとねころぶと
そよそよとふく風がぼくをやさしくなでる
遠くでひびくアカショウビンの鳴き声
目の前ではお母さんやぎがやさしい目で
子やぎたちを見まもっている
青あおと広がるやさしい空

でも
遠くの空の下では
今でもせんそうをしている国があるんだって
ばくだんが次つぎとおとされ
なきさけびにげまわる人たち
学校にも行けない
友だちにも会えない
家族もばらばら
はい色のかなしい空

空はつながっているのに
どうしてかな
どこまでが平和で
どこからがせんそうなんだろう
どうしたら
せんそうのない
どこまでも続く青い空になれるのかな

せんそうは国と国のけんか
ぼくがお兄ちゃんと仲良くして
友だちみんなともきょう力して
お父さんとお母さんの言う事をきいて
先生の教えをしっかりまもる
そうしたら
せんそうがなくなるのかな
えがおとえがおが
遠くの空までつながるのかな
やさしい気もちが
平和の心が
丸い地球を
ぐるっと一週できるかな

まだ子どものぼく
いのる事しかできない
どうか
せかい中の子どもたちみんなが
学校に行けますように
友だちとあそべますように
にこにこわらって
家族でごはんが食べられますように
夜になったら
すてきなゆみが見られますように
しあわせでありますように
いつか友だちになれますように

白い雲
ぼくの平和のねがいをのせて
この地球をぐるっとまわって青い空にそめてきて

きっと
せかいは手をつなぎ会える
青い空の下で話し合える
えがおとえがおでわかり合える
思いやりの心でつうじ合える
分け合う心でいたわり合える
平和をねがう心で地球はうるおえる

だから
ここに
こんなにきれいな花がさくんだ
だから
こんなに
ぼくの上に
青い空が広がっているんだ