嘘
パソコン遠隔操作事件で無罪を主張していた被告人が一転して犯行を全面的に認めた。
弁護人らは無罪の主張を撤回し、情状の立証を行っていくそうだ。
弁護士の仕事をしていく中で、依頼者に嘘をつかれるのは一番困る。
私は、刑事事件の被疑者や被告人に嘘をつかれたことが何回かある。
私は、刑事事件の被疑者や被告人に嘘をつかれたことが何回かある。
「嘘をつかれると適正な弁護活動ができない!だから嘘はつかないで!!」
嘘をついた彼らにはそのように伝えるが、
そもそも嘘をつくのは私のことが信用できないからではないかと思ってしまう。
それでも面会を重ね、あるとき、
「嘘をついていた。ごめんなさい。」
と告白されると、ショックではあるものの、少し安心もする。
ただ、そこから信頼関係を築くのは大変である。
嘘をついた彼らをどこまで信用することができるか。
大変だけど信用しなければお互いに信頼関係は築けない。
話題の事件の主任弁護人が、記者会見で
騙されたと言って涙目になっていたのが印象的であった。
弁護人らがこれまで何を思って無罪の弁護活動を行ってきたのか。
これから何を思って情状の弁護活動を行うのか。。
改憲、本格的に始動
第1次安倍政権下の2007年5月、野党が反発するなか、国民投票法が強行採決で成立した。それから7年後の本年5月9日、
投票年齢を18歳以上に引き下げる改正国民投票法が、
与野党7党の賛成により衆議院本会議で可決され
憲法改正が本格的に始動することとなった。
船田自民党憲法改正推進本部長は、
改憲を否定しない与野党7党の枠組みで憲法改正原案を策定し、
各党が賛同できそうな内容ごとに改正案を分割して国民投票を五月雨式に実施する
と述べ、
国民に改憲慣れをさせて、
憲法96条(憲法改正の発議要件の緩和等)の改正、
続く本丸の9条改正に持ち込む
という思惑をにじませている。
国民の間で憲法について大いに議論を深めることは大切なことだと思う。
しかし…。
今回の国民投票法の改正に際し、
同法の大きな問題点であった
・最低投票率の定めがないこと と
・周知期間について
は全く議論もされなかった。
最低投票率の定めがないということは、
選挙の投票率の低さからすれば、
有権者の半数にも満たない賛成で憲法が改正されてしまう事態もあり得る。
周知期間が発議から60日以降180日以内で十分な議論ができるとは到底考えられない。
安倍政権の強引な手法のもとで、
このような問題点を残したまま国民投票が実施されることのないよう、
より一層警戒を強めなければならないと思う。
民主主義という制度は、選挙という民主的な手続きによって
独裁者を生んでしまう危険を孕んでいる。
だからこそ、過半数の横暴を認めない、
民主的に生まれた権力であっても、国民が作る憲法によって制約されることにしたのである。
改憲を議論するにあたっては、改めて、
「憲法とは、国民が権力の側を縛るものであって、
権力の側が国民に行動や価値観を指示するものではない」
ことを肝に銘ずべきである。
燕を斬る
司馬遼太郎の小説「宮本武蔵」(朝日文庫・1999年11月1日第1刷発行)に『燕を斬ること』と題して興味深い記述がある。
武蔵が、まだ佐々木小次郎と相見える以前、
内海孫兵衛なる兵法者から小次郎の「燕返し」に関する話を聞いた刹那、
小次郎に勝てるかもしれないと思ったというのである。
武蔵が孫兵衛から聞いた話は、こうである。
すなわち、小次郎は、太刀ゆきの速さを最も重視し、
太刀ゆきの速さを鍛錬するために燕を斬る習練をした。
燕を斬るには、燕が身をひるがえしたその空間で斬るのであるが、
それには、最初に電発した太刀をおさめることなく、
太刀の終止点からふたたび電発させて斬らねばならない。
これは物理的にはほとんど不可能に近いが、小次郎は習練によりこれを会得した。
一方、武蔵は、相手(標的)の動静を凝視し次の変化を予測することを最も重視する。
燕斬りでいえば素早く燕を斬るという反射運動よりも、むしろ燕への凝視に終始する。
そうすれば、変転する燕の変態を、変態のつど、変態ごとに斬りうるというものであり、
ときに太刀はゆるやかでもよいとする。
もっとも、小次郎が太刀ゆきの速さを最も重視するということを聞いた武蔵が、
何故、小次郎に勝てるかもしれないと思ったのかは、凡庸な私にはよくわからない。
勝手な推測をすれば、相手の動きを読む、あるいは相手の動きに合わせるということが、
「速さ」に勝るということであろうか。
ちなみに、司馬遼太郎は、剣術や剣道については全くの素人だそうである。
隠し剣シリーズ(文春文庫全2巻・数々の秘剣が登場)の作者藤沢周平も然り。
剣客商売シリーズ(新潮文庫全19巻)の作者池波正太郎はどうであろうか。
なお、忘れてならないのが、柴田錬三郎の眠狂四郎シリーズ(新潮文庫全10巻)に出てくる
「円月殺法」である。
その知名度は小次郎の必殺剣「燕返し」に比肩する。
話を「燕返し」に戻すと、その内実は要するに2段構えの連続攻撃である。
尋常ならざる速さの第一の攻撃であっても、
技量秀でた達人ならこれをかわすことは容易であろう。
しかし、間髪を入れずかわした方向に第二の攻撃が襲えば、
これはもうかわしきれないであろう。
ところで、2段構えの連続攻撃で思い出すのが、
昔、少年マガジン(だったと思う。間違っていたらごめんなさい。)に連載された
一峰大二のプロレス漫画「チャンピオン太」の主人公大東太の必殺技「ノックアウトQ」である。
第一の大きな投げに対し、投げられた者は必死で受身をとるべく足から着地しようとする
(高いところから猫を落とすと、猫は必ず足から着地する。)。
これを下で待ち構えていて第二の小さな投げを仕掛けることにより、
仕掛けられた者は今度は真っ逆さまに頭から地面にたたきつけられるのである
(結果、アルファペットのQの字を描くことになる。
なお、「柔道一直線」の主人公一条直也の最初の必殺技「2段投げ」もこれと同じ原理であろう。)。
つまり、人間(動物)の習性というか本能を利用するのであるが、
ここら辺りに、武蔵が小次郎に勝てると思った理由が潜んでいるのかも知れない
(全くの的外れかもしれないが...)。
さて、今回も法律とは全く関係のない話に終始してしまった。
少々言い訳をすれば、私たち弁護士の主な仕事は訴訟代理であり、
常に勝ち負けに関わっている。
その意味では本稿が全く関係ないとは言い切れないであろう。
いずれこの訴訟(裁判)の勝ち負けについて触れてみたいと思っているが、
現時点で一つだけ言わせてもらうと、
私自身は、勝ち負けの有り様、特に「負け方」が重要だと考えている。
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